土曜日

長女の中学入学式と次女(年長)の幼稚園の入園式が重なったので、次女の送迎をする。そうか、次女のこの行動パタンは、ハイジか、と思うと、妙に納得した。

送迎の途中(で次女がいないとき)、ガラス転移に関する木曜日の岩田さんの分岐点を考える。木曜日の段階では、まだ意識しきれてなかったが、こっちの道をいくことにより、ずっと前においていた論点も明確になる。3月上旬のラフストーリーは間違いだった。全体像をイメージしつつ、具体的に計算をすすめながら、全体像をなおしていくプロセスは大変たのしい。もちろん、計算そのものは大変になってきたので、全てのつじつまがあっているかどうかがわかるまでまだ時間はかかるかもしれない。

送迎の途中、林さんのエネルギー面のとぽろじーをいじる話も考える。林さんがそもそもやりたかった動機に直結した路線では、(大槻君や中村君が的確に指摘したように)、もっと普通にモデルを書けばいいのだが、まだ遊び感覚的にやっている段階だし、そもそもの動機をはなれても、その場その場で楽しめることをあれこれ探るのは、悪いことではない。個人的にもなんとなく面白さを感じる。もちろん、面白い研究につながるかどうかは全く未知である。この問題での林さんの基本方針では、カオスと非平衡のかかわりについて、既知のことにちょっとしたアレンジをし、自分が気に入るように具体的にみていき、既知のことを理解するだけでなく、新しい問題設定につながることを期待している。こういうすすめかたもひとつの自然なパタンだと思う。


研究のすすめかたには色々あるのは自明なことだけど、普遍的な側面もある。そのひとつは、「具体的にさわること」である。これなくして、如何なる研究もありえない。教科書や論文では、初期段階での具体的な作業はかかれないのが普通である。読む作業だけを経験してきた学生は、研究にはいるときに大きな壁を感じてしまう。(与えられた演習問題を解くのは、読む作業と大差ない。)最初は、ちょっとしたアレンジでもいいから、問いかけと答えの循環作業を試行錯誤しながらすすむ経験をどこかでしないといけない。