金曜日

千葉学会論文。強引にver.-1 を完成。

研究の中盤で、はっきりしない筋を明らかにするため、地道なことを繰り返す日々がある。そこでは、なんらかの意味のconsistency check をかけながら、あぁでもない、こうでもない、と試行錯誤をくりかえす。作業は単調で、忍耐がいる。これは、実験、理論を問わないことだと思うし、この通過点なくして、まともな研究ができるとも思えない。研究序盤の夢に浮かれて走り始めたときや、研究終盤に坂をおりるように風を感じてつめるときとは全く別で、走りたいのに走れないもどかしさとも戦う。精神的な力も必要だ。

僕は、この研究中盤こそが「研究を推進する原動力(地力)」をあげていくのだと思う。研究をするには地力がいる。それは訓練して鍛えるものであり、もってうまれた能力とは少し違う。能力の有無も勿論はっきりしているが、その能力を生かして、実際に研究につなげるには、能力でない別の力がいるのである。たとえば、どんなに反射神経がいい運動選手だって、筋トレしないと話がはじまらない。それと似ている。だから、研究中盤のふんばりには、「筋トレ」という隠語も使っている。

「筋トレ」の効果はすぐにはでない。続けないとわからない。しかし、半年したら少しかわる。1年たてば結構かわる。2年たてば、他人がみてもかわる。もちろん、正しい「筋トレ」をしないと、体をこわすので注意はいる。

さて、僕自身も、筋トレを意識的に増やすようにしている。老化と戦うためでもある。10年たてば、随分違うと思う。なりたくない50歳代のイメージは、かなりはっきりしているのだ。

(あ、しかし、本当の肉体は全くいじってないので、老化まっしぐらなのでかなりやばい。なんとかプールの時間を確保するように考えようか。。。なりたくないイメージがはっきりしないからいけないのだな。。なんとなく、そのままでも元気なような錯覚をしている。)