土曜日

基本的に完全休養して、旅支度をしたり、スエーデン語を勉強したり。。

2日遅れで、和達さんのことなど:僕が最初に受けた集中講義がわだちさんだった。4年生のときに出席したのだが、もうちょっと分かると思っていたのに全然わからなかった。初日の講義が終わった後で、生協に直行してあれこれ本を探していたら、同じように河野も来ていた。その夜慌てて勉強して、2日目の講義に臨んだ。そしたら、さらに跳んでしまい、輪をかけて難しくなっていた。質問しながら自分のペースで講義を受ける以前の段階で、ただただ面喰らっていた。僕が東京にいってからは、ちょくちょくお会いした。何人かの人が回想しているように、ぽつんといると、いきなりやってきて、あれこれ喋べっていく、ということも何度か経験した。そういうとき、ちょっと意地悪な質問を投げたこともあって、そのときの応答は完全に覚えている。接した時間を全部足しても僅かにしかならないので、極々1面しか見てないだろうけれど、「隠れているわだち像」のようなのも感じている。

11月にある九州でのシンポジウム  のプログラムがあがった。主催者の甲斐さんは、誰かが行った先行研究を綺麗に加工するタイプでなく、自分が面白いと思える問題をやや大胆に掲げて研究をすすめていく方であり、僕はその精神的な部分を自然に尊敬している。また、僕がM2のときの夏の学校、および、京大での集中講義で、規則的な対流パタンが少し壊れて示量的カオスになる(70年代から続く)実験を見せられたことが、博士課程でのテーマにつながった。最初の論文を書くまえに、分かったことを手紙で書いて封書でお送りしたのだった。それに対するお返事も封書で頂いた。[保存しているはずなので、シンポに持っていこうか。。] (電子メールが常態化する直前の1989年だった。)このシンポは20年前の会議からの20周年記念として企画されていて、その会議そのものに対しても色々な思いはある。それは、11月のときに喋るとして、プログラムを見てひとつ思うことがある。

おそらく、僕と蔵本さんが「同じプログラムに並ぶ」のは最初で最後であろう。(「同じプログラム」とは、ページをめくらなくても二人の講演があることが分かる - というくらいの意味。)シンポジウムでも、国際会議でも、これまでそういうチャンスはなかった。だから何となく気分的に浮わついている。パネル討論もあるが、学問観のようなことを蔵本さんと議論するのは20年ぶりかもしれない。[修士のときは、テクニカルなことから、学問の大局的なことまで、毎週、議論させていただいていた。]