土曜日

うーん。色々とすすまない。用務がたくさんあるのは否定しないが、そうであっても時間をもっとうまく使えれば、もっと対処できるはずだ。切り替えがまだきちんといってない。昔に比べれば、格段にできるようになったとは思うけれど。(でも、あんまり、そうやって完全にこなす方向にドライブしすぎると、ダウンしかねないので、そこは注意しないといけないとも思う。そう思える程度には、バランスを失っていないし、逆にいうと、仕事しきっていない。)

査読は4つ以上手許におかないようにしているが、先月も今月も断ってしまった。すぐに3つ溜まってストレスのもとになる。(いつのまにか)大体全部論文は読み終わっているが、レポート作成にバリアがいる。文書案件が多くあって、ワープロ開くときはそっちから順番にいくから。。ここ数年は年間20−30くらいの査読数だと思う。平均査読数がどれくらいか知らないけれど、10年前の10倍くらいなので当初比では多い。(10年前に少ないのはまぁ色々と理由もある。)査読が多くなっているのは、非平衡の研究が増えていることとも関係している。(ありがたいことに)、僕が著者に入っている論文の2007年以降の被引用数が698(グーグルスカラー)らしいが、引用している文献をほとんど知らないくらいには数的に盛んなようだ。(10年前の過去5年間の数倍くらいかな。が、このままでは、いつかバブル崩壊して急落する。)

こういう数が調べれるようになって、特に、(精度が悪くて取りこぼしが多いが)グーグルスカラーは誰でもアクセスできるので、視聴率や観客動員数のように数字「評価」として短絡的に使われる可能性もある。実際、書類でも、そういう数を書く機会も増えてきた。しかし、この数を研究評価に使うのは、間抜けである。第1に、異なる分野で比較をするには絶対数は意味をもたない。多くの普通の研究は、その母集団の中でしか関心をもたれないので、その規模で規格化*1される。(母集団を突破するくらいに優れた研究なら、そもそもそんな数なんて関係ない。教科書的になって、誰も原論文を引用しないくらいの常識になったりする。)第2に、同じ分野内に限っても、被引用数の多さと論文としての素晴らしさの間には、多数の論文を並べたときの相関はあるだろうが、特に上位の順位については相当違う気がする。映画の観客動員数と出来栄もそうであろう。実際、21世紀に発表された非平衡の論文たちで、被引用数が高いリストを眺めていると、?がつくのもぼちぼちある。その理由は推測できるけど。だから、専門分野の中で何かの評価を決めるときには、被引用数に頼るというのは、自分が専門家でないと言っているのと同じで、本来恥ずかしいことだろうなぁ。さらに、もし数字でしか決めれないとしても、現時点での被引用数と10年先の被引用数は全く違うので、その程度の予測についてコメントできないなら、これはもう専門家ではない。以上は、当たり前のことだと思うけれど、どうも...何かねぇ..当たり前のことでも言わないとそうでもないことに遭遇することも珍しくない。「評価は、評価する側の見識の表明だから、、」と言って、フンと向こうを見るようにしていたが、そうしてばかりではいけないときもあるかもしれない。

*1:母集団の推定が難しい。誰か研究しない?与えられた引用関係から、被引用度を規格化する母集団規模を推定して、"normalized citation index" を計算するアルゴリズムの提案。