木曜日

会議(会合)の4連発。あいている隙間をみて、古文書を見る。今日は、森先生の58年の論文。言葉を抜いて式だけみると、設定は僕のノートの特別な場合になって、計算は素朴だが自然な方法でやっている。当然のことながら似たような式があちこちにある。ただ、途中で「現象論的考察」が入ってきて、ミクロからの話と現象論の話が絡まってきて論旨が見にくくなっているようだ。論理的には決定的な矛盾点を抱えてしまっている。気にならなかったのか、気が付かなかったの不明だが...。ゴールは誰もが知っているので、そこに行ってしまえばいい..というのはあったのかもしれない。ずばーれふもそうだしなぁ。。)ま、僕のノートもそうで、誰もが知っているゴールに向かうので、それに引きずられたらだめだ。どれだけ「論理」が明晰に見えるかがポイントだと思っている。

終盤で詰め切れていないところがまだあるので、今晩考えようと思ったが、どうやらノートを大学においてきてしまったらしい。昨日は、水筒を家において大学にいってしまったし。。どうもボケている。