日曜日

学会シンポ講演の準備:先週作ったプロットを清書して、土曜日のうちにスライドのスケッチ版を作っておく予定だった。が、どうもダメ。何というか、プロットが気にいらない。起承転結の標準的な流れだが、いくつかの講演の前座的な意味もあるので、レビュー的な面も位置づけもある。そのせいか、起承が長く、転がとってつけたようで、結がふわっとしている。断片的な調整を色々考えたが、結局、今朝になって、全部破棄を決めた。0から作り直しをすることに。時間的には大きなロスだが、仕方ない。ここの構成でこけると、後で細部を如何に工夫してもダメだからな。

要するに、非平衡ゆらぎをテーマにした学会のシンポで楽しく喋っている様子が浮かばなかった。いかにもありがちな背景やいかにもありがちな問題設定だと、今の僕は楽しめない。(15年前ならともかく。)今、学会で「非平衡ゆらぎ」についいて伝えるとしたら何か。そこを素直に見据えて、正直に伝える方針を考える。そうすると何とかなってきたか。少なくとも本人の意欲がましになってきた。構成は非標準的で、前半と後半の2部構成。時間は50:50で、式をふんだんに使う前半とあまり使わない後半でガラッと変わる。やや危ない選択かもしれない。

STAP細胞:学問の話。細胞の初期化を外的条件の制御で実現するのは、にわかには信じがたいが、全く不可能だとも思えない。いかにも物理学者風の考えだと、次のような感じだろう。(1/30の日記に書こうと思ったこと。)例えば、phを変えて、酸を強くすると、細胞は死ぬ。たくさんの細胞のサンプルに対して死ぬ割合を測定して、ph に対してプロットとると、どこかで0から1にクロスしていく。このクロスしているあたりで、ぎりぎり生きているのをさらにみていくと、初期化されているのがいてもいいのかな、と夢想する。つまり、壊れていくまさにその瞬間を「うまく」とらえると、壊れずにもとにもどるかもしれない。で、もしそうなら、STAP細胞を再現性よくつくるとは、そこのfine tuning をすることだから、知見を蓄積できれば制御できる可能性もある。1月30日に細胞分化の数理模型を色々DLして、そういう可能性を具体的に調べられないか検討しよう、、と思っていたのだっった。細胞の生死の問題にはずっと興味を持っているし、恰好の題材だしなぁ。ま、STAP騒動がおこった今だからこそ、遊んでみようか。。

STAP騒動:大小さまざまな論点があり、下手すると下手なことになる。例えば、(これまでも「普通に」真摯にやっていた人たちが)D論審査のときに余分な書類を提出する羽目になる、というのが、こういう話の(間違った)落ち着き先になることが多い。巨額な研究費の不正使用事件がおこると、100円オーダーの処理で馬鹿げたことがふえた、ということを知っているからなぁ。どうでもいいことに余分なことに手間をかけ、あまりにも大きい本質的なことはスルーする、ということがおこる。大学院教育、人事、研究組織、それぞれに問題点があるが、正しい問題点を的確に把握して、馬鹿げた指令が来る前に、研究者コミュニティーで正しい提案をできるようにしないといけないのだと思っている。