火曜日

京都研究会2日目:朝、川上さん、川崎恭治さん(76?)、大沢文夫さん(82?)の講演と早川さんのコメント。僕は、午前中のセッションの座長が今回の仕事だった。仕事を離れても非常に面白かった。今日の話だと夕方までセッションをつづけることも可能だったと思う。それぞれについて長い記録と感想が(頭には)あるのだが、ここでは大沢さんの話だけ書いておく。(1年前に、川崎さんのことは書いたし。)


正直、身震いした。とくに、「異分野にまたがる研究をするとき、「そういう見方もありますね。」といわれるだけだと意味がない。その分野の一流の専門家に「なるほど」と面白がってもらわないといけない。」という、きわめて強烈なメッセージを例の淡々とした調子でいわれた箇所は、ずっと頭に残ると思う。あたりまえのことではあるけれど、それを喋る人と喋る文脈によって受けるイメージが違ってくる。大沢さんがいうからこそメッセージとして成り立つのだと思う。(大沢さんの人間としての凄さは、圧倒的である。まず、人間に対する記憶力が半端でない。想像を絶する数の人の顔と名前が頭にはいっているようだ。)昨夜の懇親会で、物理の対象を広げることが大事だ、という話がでたときに、舌足らず的に、そういうことを意図的に考えるのはおかしい、、という反論をいったが、ホテルについて舌足らずだったなぁ、と反省した。舌足らずだった箇所を補足したかったのだけど、僕がごちゃごちゃいうより、ずっと説得力があった。

午後、九後さんが、「60年代、日本でなぜ場の理論が進展しなかったか」という無茶苦茶喋りくい話を、そのまま喋りにくそうに喋っていた。これはもっと資料を整理してもいいと思う。もちろん、九後さんが喋りにくかったのは、「湯川、坂田の影響力が強すぎた」という要因を明示的に喋ることへの抵抗と、当時、場の理論を精力的にすすめていた中西さんへの配慮があったからだと思う。(これらは、講演を聴くまえから想像していた。)僕自身は、それらは折込みずみの上で、淡々とした事実関係を知りたかった。たとえば、Faddeev-Poppov の話がでたとき、それがどのような形でいつ日本につたわり、それを研究者たちがどう位置づけたのか。(70年代前半のくりこみ可能性や漸近的自由(=ノーベル賞2つ)につながる転回点だから。)この質問に71年修士入学の九後さんが答えれるはずがないのだけど、南部さんがシカゴでの様子や裏話、江口さんが東京での様子を答えてくれたが、このあたりはもっと色々な人からも聞きたかった。ブレークスルー直前の個人としての対応、集団としての対応は、(かりに失敗物語だとしても)ドラマとして面白いだけでなく、なにかしらの参考になるような気がする。そもそも、ghost の問題を認識していなかったのでは、、という飛び入りのコメントがはいったけど、それは本当なのかな。[また、偉い人経由の口コミとpreprint 伝播という文化伝達の時期で、そういう時代の特殊事情もあるのだけど。] [統計力学では、Kadanoff の後、Wilson 直前の話とか。僕は、蔵本さんと川崎さんからは聞いた。時期もにているなぁ。]

淡々とした歴史、という点では、7月に日記に書いた「BRS or BRST ?」に関して、中西さんがそのタイトルでproceedings (国際会議のopening remark)を書かれており、それにまつわる他の証言や資料とともに下さった。帰りの新幹線の中で読み、状況をかなり理解した。ここでその詳細に書いても意味がないので書かないけれど、こういうのって大事なことでないのかな。頂いた資料から判断するに、BRST という呼び方はきわめて不自然に思える。[昨日の懇親会で、中西さんに不躾な質問をしている流れで、その話になった。]


実は、今回の座長依頼があったとき、2日間まよってから、承諾の返事したのだけど、結果としては、研究会にきてよかった。(しかしなぁ、うきうきした気分にはなれない。昔の話をきいて、今の自分の研究レベルをみると本当なさけなくなる。)