土曜日

朝おきたら、やはり違和感がある。布団の中で、むにゃむにゃしていると明らかにおかしい。朝食後、鉛筆をもって整理すると、昨日の岩田さんの提案は悪くなかったのに、僕が膨らました部分がこけていた。慌てて、tex ノートをつくって訂正をおくっておく。

「ガラス系における動的相関のミクロからの理解に向けての初歩の初歩のたちあがりでの設計図レベルで生じているひとつの問題」なので、普通の言葉では「はじまってもいない」。それでも、このtex ノートの後は、あぁしてこうして、他方、岩田さんが今考えている論点が肯定的に解決できれば、いよいよ始動できるか、、と気分がよくなって、散歩にでた。

公園を歩いていると、また気分が悪くなってきた。帰宅後、ささっと式を書く。うーむ。今のいきかたには”恐ろしい穴”が潜んでいるようだ。「えい」と(ついやりがちなことを)やったときに、人工的に全くありえないものを生んでしまう場合があるようだ。そういう例を確認した。どうもその辺りの危うさについての感覚が全くない。この手の感覚は、ある程度は、経験をつむしかない。どういうところから何の経験をつめばいいのだろうか。

ここでの「えい」は、記述のスケールを変えたときのノイズだとみなされる項の性質に関係している。これは、多くの問題に共通して生じている。ちょうど2年前の9月15日の日記に明示的に書いているように、射影演算子は何の解決も与えない。そこを「手で」仮定してしまうと、間違った結論になってしまう場合が多々あるのは認識していたが、それの過激な版になっているようだ。今のところは、不思議だなぁ、何かの勘違いか?かとも思えるので、単純なエラーかもしれない。