月曜日

SST数値実験再開。3週間前は”理想(ソース)熱浴”のデザインとそれに付随したSST-Maxwell 関係式を確認することに主眼があった。今回は、詳細をみていく。頭で色々イメージすると気持ち悪いことがいっぱいある。そろそろ限界なので、片っ端から具体的にみていくことにした。と、いっても、夕方の会議が長引いて、バグのまま大学を後にした。まだ、プログラム勘がもどらず、高速に手が動かない。

ところで、僕は、数値実験は好きではない。そういうことをいうと、鉛筆を動かした計算が好きなのかと思われるかもしれないけど、それも好きでない。証明も好きではない。どれもできたら気持ちはいいけれど、あんまり思ったようにできないしなぁ。だから、方法論に対する拘りは全くない。知りたいことを知るためにまっすぐすすむだけである。時折、方法論に関する優劣的な議論をみることもあるけれど、僕には全く興味がない。どんな方法論でも、自分が理解できる範囲で、すごい研究はすごいと思うし、くだらない研究はくだらないと思う。優等生的な意見かもしれないけれど、要するに、僕が方法論に興味がないだけのことだろう。

何が好きなのか、、といわれると、理論物理、、としかいいようがない。理論物理は、数理物理や計算物理のように方法論ではない... じゃぁ何だ? 近隣分野を方法論でわけているなら、理論物理への嗜好性も方法論でわけるべきでないのか。うーん、方法論的なわりふりで好きなのは、散歩かな。歩きながら色々なことを頭でくるのは楽しい。一般的な問題設定から計算の詳細、計算機実験のデザインやバグとり、証明のアイデア練や詳細、すべてについて、頭でくるのは楽しい。そうか、じゃぁ、理論物理とは散歩物理だ。

勿論、冗談。散歩から色々なレベルのきっかけがうまれるけれど、そこでとまっているのはヌルいものしかない。本物にするためには、脳細胞の生死を賭けた戦いが不可欠である。それは散歩ではできない。結局、鉛筆もって計算したり、端末たたいて計算したり、部屋を歩きまわってのたうったり、ソファーでうたた寝したり、自分ができることを全てする...ということに行きついてしまう。つまり、理論物理は方法論ではない、というところに戻るわけだ。