水曜日

ノートの段階で計算間違いがあるのは暗黙的前提である。早く正確にできるにこしたことはないが、丁寧に時間さえかければつぶせる。また、希望的観測にひっぱれて強引に成り立たないことを(間違って)論証してしまうことも少なくない。一旦やってしまうと、このつぶしはなかなかできず、他の諸々の考察との矛盾という形で強引さを認識するのが通常かもしれない。計算ミスや論証ミスを最終的に残したままにしているのは恥ずかしいことで、何とかしてつぶさないといけないが、ミスしたこと自体は、途中で気にすることではない。(ミスをつぶす努力を惜しまないことは大事だが..)

それに対して、問題設定や考えたい状況の把握が狂ってしまったまま議論を積み重ねるのは非常にまずい。「どういう状況で、何を前提として、何を理解するために、どういう試行錯誤をしているのか」が意識されていないといけない。これは研究という行為の根幹にあることで、そこが揺るぎはじめた院生たちにもえらそうに指摘してきた。

marginal saddle をよぎる空間構造の問題について、どうも、自分自身がそれを半分見失ってしまっていたことを自覚した。技術的に相当ハードな問題になってきて、設定と前提に関する意識が浅いまま考察をすすめていたことにやっと気がついた。これはきわめて恥ずかしい。経験が少ない院生ならまだしも、年長者がこれをやってはいけない。

というわけで出直し。