水曜日

籠って諸々の案件を処理。夕方に脳みそが悲鳴をあげたので脱出する。研究ノート書きにスイッチする。調子がのってきた。(あぁ、これを朝からできたなら、そして明日もこれだけに時間を使えたら、明日までに一通りのノートができるのに、、と少し思う。明日も朝からたっぷりの事務的案件が待っている。)

ノートは、「流れる固体は流れないかも?」という仮題で、論点整理が中心になっている。京都で覚えた違和感は明示的になったし、議論の微妙さを納得するレベルはあがった。現在のメインクレームとして、「流れない例」を出すけれど、もう一歩高みに行きたいなぁ。。ま、空いている時間を見つけてともかくノートを書く。

twitter をのぞくと、みんなこの時期は似たように苦闘している。伊藤好考さんが「事務処理は雪かきと同じようなものだ。新雪のうちに処理するのがよくて、放置すると固まってしまう」というようなことを書いていたが、まさにそういうもんだ。[ちなみに、好孝(さん)は大学時代1学年下。原子核理論の菅沼(さん)や大西(さん)も1学年下。その当時に接触があったから、彼らに対しては何となく後輩っぽく思ってしまう。同じ意味で、1学年上の野尻さんに対しては、今でも(少し怖い)先輩の感覚が抜けない。仮につきあいがなかったら、年齢が近い活発な異分野同業者に過ぎないのだろうけれど、変な感じだ。]