月曜日

「たちあげ」はあれやこれやと夢想して大変楽しいけれど、「引き際」は真っ暗になって大変苦しい。自然消滅することも多いし、話にならず拒絶されるときもあるし、いけそうなのに断腸の思いでみずからひくこともある。研究日記なので、研究をすすめるときの話だけど、人間関係、とくに、強く想う点において恋愛とたいそう似ている。

僕は、(苦しいところも含めて)このプロセスを好きなのかもしれない。だから、夢想のない「たちあげ」や苦しい「引き際」がない研究を面白く感じない。そして、真剣であればあるほど、「引き際」はいつも問題になる。「引き際」が意識されていないネバーエンディングのようなプロセスに愛はない。愛があるからこそ、夢想するし、それ以上に苦しむ、ということを青年期を越えた人なら誰もが知っているのではないか。

僕は、研究の仕方について、よく精神論を喋る。その多くは研究とは直接関係ないようだが、実のところ、自分たちがする研究そのものと根幹部で関わっているようにも思える。自分が自然な状態にならないと問題の核心が見えてこない。(技術でないという意味で)「運」とよんでいる部分だが、「運」をよせるのは自然さだと確信している。しかし、同時に、自然になろうと振舞うことの不自然さもよく理解しているので、安易な答えはない。それでも、自分にとっての自然さをときおり意識することはきっと大事だと思う。