土曜日

昨夜、島を離れて港のホテルにつく。そのホテルは、受けつけがバーみたいんところで、母娘の二人でやっていて、まったく英語が通じなかった。タクシーをホテルで予約するつもりが全然だめだった。ま、タクシーの看板が港にでていたしタクシーみたいな車もあったから、そこで頼めばよいや、、と思っていた。「タクシー」「駅まで」というイタリア語を書いて、翻訳サイトがすぐにでるようにすることで、案内所の人が英語できなくてもきっと大丈夫だろう、、と思って寝た。

(そもそも7時にホテルにでることが不可能らしいこと、なんとしてもでたいこと、など諸々について、英語をしゃべれない母娘に対して延々とやっていて、7時にホテルをでるのも自明ではなかったんだが。それはおいといて。。)

朝7時にホテルを出る。問題はイタリア語でなかった。そもそも案内所に人がいない。電話番号が書いてあるだけだが、電話なんてあるはずない。(あっても、イタリア語の電話でタクシーを呼ぶのは難度が高い。)仕方ないので、バカンスにきたハイソな人たちを捕まえて、車にのせてもらって、駅までつれていってもらおう。。ということを考えた。

誰に声をかけようかなぁ、、、うろうろしていると、、、「あ、えりっく!」(スウェーデン人だが、イタリア語を喋れる。)これで何とかなる。慌てて近づくと、「あ、カレル!」...そうか、早朝に引き上げた人たちが6人いた。主催者のあんどれあもいる。事情を話して、6人乗りのタクシーに7人目につめもらう。「非合法だけね....。」と。(ぼくは電話してタクシー呼んでもらうだけで十分だったけど。

というわけで、ここからは、何一つ心配がない旅になった。ローマの何とかという駅まではカレルとずっと議論して、空港まではくりすとるやえりっくと色々な雑談をして楽しく過ごした。特に、かれるとの議論は無茶苦茶有意義で、近視眼的な影響という意味では、もっとも実りがあったかもしれない。あまりにも盛り上がったので、「カレル。第2部だ。日本にこのまま行こう!」とか言っていた。。

9月のイタリアの島の研究会のとき、僕はおそらく一人だけ最終日の遠足をパスして日本に帰らないといけない。このとき、「港から駅のタクシー確保」が非自明な問題であることを学んだのもよかった。