月曜日

成田では問題なく搭乗。飛行機の中は、講演の準備(スライドの手入れや言葉のチェック)をしていたが、途中で集中力が切れた。音楽聞きながらぼーと研究の大きな方向性の考え事などをしていた。座りっぱなしは危険なので、2ー3時間に一回は立ち上がっていた。さすがに降りる頃には少し違和感がでてきたが、歩くのに全く問題はない。コペンハーゲンからストックホルムにいくとき、定刻になっても案内がない。アナウンスがあって、「車輪に不具合があったので、修理する」とのことだった。(とぶ飛行機を変えるのでなく、その飛行機の車輪を変えるのか。。)2時間のロスですんだのは良かったというべきか、限界だったというべきか。一刻も早く横になりたいので、空港から市内へはバスでなくて、あーらんだエキスプレスを使う。20分!駅で明日の朝のパンと水を買って(早朝に目が覚めるだろうから)、地下鉄でなくて、タクシーでアパートへ。タクシーの運転手さんはイラン人の方だった。結構な額がとんでいくが、仕方ない。

研究の方向性:非平衡基礎については、結構な数の研究会が開かれて活発になっているように見えるが、パタンのときの末期的な状況に似ていると言えば似ているかもしれない。例えば、とある問題で、○○して、○○すれば、、まぁ非自明だし面白いので、○○の方向に展開するかなぁ、、とか考えていたが、それって、95年ー96年に自分の問題意識を整理して非平衡基礎に向かうことを決めたときに、「それほど面白くない問題」として自分が割り振ったカテゴリーに入っているかもしれない。これではダメだな。そのときの大きな問題意識に立ち返って、どれくらいの進展があったのか、もう一度整理する時期かもしれない。日記が残っていないのがつくづく残念だが、断片的にはノートはあるはず(発掘するのは不可能かもしれない。ネットで書いた日記はすぐにでるから素晴らしい)。メインに掲げた大項目は、熱力学構造(熱と仕事の分離/制御不能性)のミクロの世界への拡大と非平衡世界への拡大だった。それを両方同時にやろうとした。いや、両方が関わっていると思ったから。(大野さんに影響を受けたのは明白だが、それだけなく、そういうのが始まるのが時代の潮流だったのだと思う。後からみれば。完全に慢心していたので、緊張感が足らなかった。96年の自分にしかりつけにいきたい。)ゼロでない寄与は得たとは思うが、15年ちょいでこれだけか..と思うと少し悲しい。(最初の数年は基本的には勉強だしなぁ。論文はちょこちょこ書いていたけれど。)情報のやりとりとの関わりもその細項目として掲げたが、これは何もできなかった。折角、さがわさんたちのがあるので、それを踏まえて自分の見たかったものに再挑戦したい、、と、ひそかに思っているけれど、実行が伴わないなぁ。他にも..... などなど。

飛行機の中で、ガラスのことはまじめには考えなかった。僕の個人的状況としては非平衡基礎の90年代後半に似ている。論文を書きながら勉強をすすめてきて、自分独自の足掛かりがやっと見えてきつつある。今度は、全く慢心していない。毎日、preprint におびえている。有限次元でRFOT を示す綺麗な模型がでるのは時間の問題だと思っている。(あ、2月の散髪屋で思いついた案はダメだった。完全につぶした。転移がないか、あるとしても、見たいものではない。)イスラエルで本格的にやりはじめているし、サクレーも気にしているらしいし。研究人生2度目の大勝負で、今度は負けたくないのだが。。