木曜日

最近、通勤路では、悪魔関係を考えることが多い。「悪魔」というより、昨日の日記に書いた、関本さんやれすらーさんの昔の話をなどるようなことかもしれない。多分、お二人の話の表面的な部分を自分の言葉で理解した。一見して不思議なことが起こるが、落ち着いて考えると何も不思議ではない、というような現象の提示である。(ふたりとも現象そのものが不思議とは書いていない。)

例えば、レスラーさんは、粒子が別の粒子の「検出器」を備えている場合を考える。この特別な粒子が1次元リング上をそれぞれ独立に自由に運動するとせよ。検出器がなければただぐるぐるまわるだけであるが、「検出器」の存在がカオスを産む。(「検出器」の記述をどうするか、というのに少し任意性があるが、レスラーさんのひとつの案(と僕が解釈したもの)では、カオスの存在が厳密に証明できる。この部分をさっき完全に理解した。[検出器の定義を強くした版ではまだ終わっていない。(上述の例だと、「弱いカオス」にしかならない。)]本に書いている模型とかは全て破棄して作り直した。力学系としては自明レベル。)さらにこの多粒子版にすすんで.. 。このあたりは現象もまだ僕は把握していない。

レスラーさんがそこで言いたかったのは、このクラスの力学に特別な意味(意義)はないのだろうか? という問題提起である。80年代の話であり、僕が(津田さんを通じて)知ったのはちょうど20年前だったかもしれない。「ポストカオス」の議論の中でのことだった。「内なる悪魔」という言葉も出ていたと思う。その当時どうも出発点の模型の理解ができていなかったので、どうも言っていることにピントがあってなかった。

関本さんの話も最初に聞いたのは15年前くらいだろうか。「検出器」がある場合のゆらぐ世界の記述である。いくつかの版があってまだ全てを思い出していないけど、要は、どこかでエントロピーを吐き出さないといけないのだけど、時間的空間的に離れたところで吐き出している場合もあるよね... ということに尽きると思う。例えば、ある部分系で減っているエントロピーは「こっそりと」別の部分系からもらっている場合がある。「こっそり」と巧妙にもらう場合、現象だけみるとパラドックス的に一見すればみえる。もちろん、例えば、確率過程で書いたときに何か矛盾があるわけではなく、自明なことにすぎない。

お二人の論文を精読しなおしたわけではなく、実は、ちらっと見ただけである。お二人が考えたことであろうことを自分の言葉で再構成してやっと理解した。

こういう話に意味(意義)があるのかどうかは全く分からない。問題の立て方が問題だろうなぁ。。

(以上、往復の通勤と自宅で寝転がっているときに考えたこと。)