土曜

物理学会3日目:「物理学会って意味あるの?」という本質的なコメントが若者からでる。難しい。例えば、今日の講演で、伊藤君の発表や白石君の発表は、非平衡ゆらぎの国際会議で発表しても間違いなく世界トップクラスの寄与だと思うし、他にも素晴らしいのはあったのだが、議論する機会が多くなって、全部身内感があって、それは学会でなくてもいいじゃない...と思ってしまう − ということだと思う。

確かにね。自分の研究テーマに近いのを見ているとそうかも。おそらくポイントが3つある。

ひとつは、学会は、「物理」そのものの原点にもどって、色々な話を聞く場ということ。高エネルギー物理や強相関物理やマニアックな物性物理など、普段きかない話を聞くのはいい機会かもしれない。研究に大きな影響を及ぼすことは今まではないけれど、まぁ話というか、雑談ネタというか、何がどう関わってくるか分からないしなぁ。(今まで、領域11、12以外にいって、研究に直接影響を及ぼしたことはないけれど。。)

2番目は、学会は、普段会わない人との議論の場所であるということ。例えば、Harada-Sasa をつくるきっかけは青森学会だった。初日に原田さんの講演があって、2日目からは講演はほとんどパスして、それに関する議論をずっとしていた。原田さんが相関と応答だけで閉じる関係式を導けるかも、、という試みを提案していたのだけど、僕はその方法論が気にいらなくて、正しい攻め方を話していた。

3番目は、学会は、自分の分野(領域11、12)について、知識を増やす場だろうか。例えば、ゆらぎの定理が本物であることを意識したのは97年か98年の学会ででまともな系での数値実験を知ったからである。帰りの新幹線で確率過程でゆらぎの定理を証明して、おぉ〜なるほど...声をだした。(すでにJorge がarXivにあげていた。証明方法は違ったけど。ちなみに、Jorge はGallavottiのセミナーを聞いて、確率過程でやったそうな。)今回の学会でも、「ミニ知識」はたくさんついた。そういう「ミニ知識」は大事で、そこから新たな研究になるのはよくある。おそらくこの意味が普通には大きいのかもしれない。

あとは、シニアースタッフの本気の良質な研究発表がどれくらいあるか、というのでだいぶ空気が違うと思う。その頻度が単調減少関数ラインにのって、やがて消えると、分野も消滅するのでないのかな。10年位前にも書いた気がするけど。金子さんの発表は、そういう意味でも素晴らしかった。内容は金子色そのものだが、たしかに唸る。あと、自分で言うのも変だが、僕が流体導出の話を10分で喋るのもきっとよかったと思う。1年に1回は喋れるようにしたいが、難しい。