月曜日

学会までに絶対に終わらせないといけないとしていたことは、学会の領域代表としての仕事(=今晩予定)を除いて大体終了したかな。特に、「熱伝導下の気液転移」についての論文の改訂は重かった。二人の査読者のコメントが膨大で、それらに対応して、かつ、全部を論文に入れるのに苦労した。かつ、田崎さんに指摘された致命的な間違いの対応も論文改訂作業の一貫としてスマートに対応したかった。多分、終了。最近のPRLだと、最初の二人がpositive でも、ここから第3、第4の査読者にいくことも多くあるので、それも想定しながら対応したつもり。(佐々=横倉も最初の二人がpositive なのに、第3、第4にいってこじれてしまった。第3、第4の査読者のレベルがあまりにも酷かったので、最終的には問題はなかったが。)

ちなみに、僕自身、第3査読者として決定的な役割を果たした論文もそれなりにある。僕の前の二人の査読者がどちらもちゃんと読めてなくて、それでいて意見が分かれていて、僕は内容を完全に理解して、ダメとかOKとか判断してきた。僕は、僕の理解が学問的には(大体)正しいと思っており、PRLの場合には、概ねそれがひっくり返ったことはない。しかし、僕が最初の査読者としてダメと判断したのに最終的に受理された反例は2つある。そのうちの一つは査読者間でも意見が分かれていたし、まぁありかと思うけれど、もうひとつは学問的には全くダメで、その経緯に僕は納得できていない。編集者から説明はあったが、僕は全く納得していない。ただし、そういうのがまだ一件だけなので、PRL は基本的には信頼している。だから投稿もするし、査読もしている。(もちろん、PRLの査読者の質の平均が専門誌に比べて低いのは事実であり、掲載OKだからいいとか、掲載ダメだからXとかいうわけではない。あくまでもシステムとして健全だと思っている、ということ。大体、例えば、JSP の査読依頼は、例えば、Spohn 先生からくるわけで、査読者が審査されているような緊張感があってだな。。)

その一方、(僕が関わった)nature 系統の査読システムはひどく、学問的なことが全く尊重されないように見える。査読者として懸命にレポートを書いたが、無視される。別にそれも編集者の判断だから構わないが、あまりにも虚しいので、あぁ、学術雑誌じゃないな、と思うことにした。と、僕はへそをまげて、この夏から、nature 系統の論文査読はしないことにした。[勿論僕の意見が無視されるのは、僕が掲載に影響を及ぼすほどの社会的力を持っていない、ということなんだけど、学問的な意義の議論より、知名度やら何やらが優先されている、ということで、そういう世界に関わりたいと思わない。]あれに掲載されるかどうかは学問的なことは多分関係ない、と僕の経験の範囲ではそうなっている。僕は普段読まないし、まぁいいや、、と。