月曜日

朝6時前からごそごそとTVの声がするので、起きた。あいにくの曇り空で太陽は見えそうもない。それでも、ときどき空を眺めていたら、ちょうど輪っかになっているとき、薄い雲の向こう側に見えた。(これはグラスでは全く見えない。)おぉ。。30分後くらいかな、欠けた太陽が少し顔を出したので、グラスで見る。おぉ〜。(正直いって、ほとんど興味なかったのだが、現物を見ると興奮した。)

朝の電車は途中で眠る。勿体ない。その後、講義。午後、整理。夕方、大野さんの講演会。20人以下なら119だけ、20人を超えれば仕切りをはずすことにしていた。ネットだけの1週間告知だったので、何人くるのかよくわからなかった。結局、約70人くらいで、119/129が満席状態になった。現象論の意義を理解する、ということ自体が大事で、そういうことをそれまで考えたことがなかった多数の人にはその機会があるだけでも良かったと思う。講演1時間でお願いして、実際の講演は、55分くらいだった。途中での質問と最後の質問をあわせて105分。[良い質問も多かった。]終わった後も、長い時間、質問の列があった。

ただし、大野さんは未来も見ているわけで、そのストイックなまでの方法が本当にいい(=実りがある)のかどうかは、議論の余地があると思う。僕は、その1点突破主義的な考えは、あまりにも脆いと感じる。(統合化自然史のノートが2000ページ近くある、、というだけで、全く普通ではなく、常人の営みを超えているのだけど。)偏見を持たないと現象を観察できない、という大野さんの意見は20年前と同じだけれど、僕はその意見に反対である。いらんことかもしれないけれど、やりとりを聞いているだけだとストレスが溜まってしまい、最後に座長質問というか座長コメントをしてしまった。最終的には自分の趣味/嗜好だけれど、自分はどういうタイプの研究をどのようにしたいのか、自分自身で選択できることだから、あれこれ考えてもよいのだと思う。

その質疑応答で、僕が、昔、戸田盛和さんの講演に、ぼろかすコメントをしたときのことを回想されていた。91年(プラスマイナス1年)かな。「基本的事項が理解されていないようで、全く無意味なことをやっている」というようなことを指摘した。戸田さんは、やわらかく、そうなんですか...と答えられていた。その後で、大野さんに、「君のいっていることは正しいが、なかなかそう言えるものではない。」と声をかけられたのは僕も覚えている。(その日の会話はそれだけ。)[僕がイリノイで交通事故を起こして、車が再起不能になって、僕も肋骨にひびが入ってのたうっていたことなどは、完全に忘れられていたようだけど...。それ以来、車は(緊急事態の)一度しかのっていない。来年から車通勤しようかなぁ、、とか、最近思っている。]